入社して配属が決まり、同期それぞれが、それぞれの道を歩き始めました。
僕は婦人服に配属され、電鉄系百貨店の営業担当になりました。
まずは営業で頑張って、そこからMDへの道筋を作ろうと思っていました。
その系列の百貨店は関西近郊に4店舗ありました。
その中でも本店の売上が一番大きく、大変でした。
何が大変だったか?と言うと、本店のバイヤーが大の東京嫌いだったのです。
僕はすぐに上司に連れられて、挨拶に行きました。
ところが……
すぐに上司に
「僕を変えてくれ」
と言いました。
えっ……。
まだ何もしていないんだけど・・・
東京の何が嫌なのか?先輩に聞くと、とにかく言葉が大嫌いだそうです。
もう最初から泣きたくなりました。
僕の前に、関西弁という大きな壁が立ちはだかりました。
今でこそ東京でもほぼ毎日、テレビから関西弁が流れてきますが、45年前は
ほとんど聞いたことがなかったです。僕の周りにも関西人がいなかったので、
全く馴染みがありませんでした。
寮生で大学から関西に来ている奴もいましたから、彼らに聞きましたが、そいつらも地元が九州、四国など地方出身なので、ネイティブな関西弁ではありませんでした。彼らも関西弁を習ったことはないので、僕と同様に苦労したそうです。
そんな中で僕がどうやって関西弁を習得したのか?
それをお話しします。
僕は寮で、2年目の東京から来ている先輩に相談してみました。
すると、俺も最初は大変だったけど良い方法があると教えてくれました。
それで他に悩んでいる奴らも呼んで、勉強会をやろうと言ってくれました。
2,3日後、僕たちは寮の客間みたいな部屋に集合しました。
東京から来ている奴と地方出身が一人、計5名参加したと記憶しています。
少し経ってから先輩が部屋に入ってきました。
手にはカセットデッキとカセットテープを数本持っていました。
「何だ、これは?」
僕たちは顔を見合わせました。
先輩は、「俺はこれを聴いて関西弁を勉強した」と言いました。これを聞けば
少しは話せるようになると言ってくれました。
先輩はそれだけ言うと部屋を出ていってしまいました。

僕たちは数本あるカセットテープの中から「基礎編」と書かれたテープをカセットデッキにセットしました。
するとカセットから次のようなメッセージが流れてきました。
「このテープを聴いていると言うことは、みんなは関西弁で困ったことがあったのですね? でももう大丈夫!これ聴けば、君ももう関西弁は怖くない!」と言うのです。
続けて大きな音で「レッスン ワン!」とまるで英会話のような始まりでした。
「まず今日は基本の挨拶からやります。私の後から続けて言ってください」
「リピートアフターミー」と言われます。
そしてすぐに始まりました。
最初に「まいど」と言ったので、僕らも続けて「まいど」と言いました。
するとカセットから「声が小さい!」と檄が飛びます。
僕たちは「えっ?」となりました。
まさかカセットテープに怒られるとは思いませんでした。
するとテープは「関西人」は声が大きいことを教えてくれました。
そこから「まいど」の声の後に、僕たちが大きな声で十数回言いました。
するとテープから「良く出来ました」と言われ、次に進みました。
次は基本の挨拶の応用編です。
「まいど、おおきに!」と言ったので僕らも続きます。
これも大きな声で十回やって、また次に進みます。
次はさらなる応用編です。
「まいどおおきに!どないでっか?」これもまた十回やりました。
他に僕が基礎編で覚えているのは、
・「まいどおおきに!どないでっか? 」
・「儲かってまっか?」
・「ええ天気でんなぁ」
・「何とかなりまへんか?」
・「頼んますわ」
・「これは借りですな」
などの言葉をそのシチュエーション毎に教えてもらいました。
正直に言うと、このカセットが実際の現場でどれほど役に立ったのかというと……。
そこまでではありませんでした💦
でも、これまでは後輩に毎晩酒を飲ませていて楽しんでいるように見えた先輩たちが困っていたら助けてくれる文化があるのだと、僕はちょっと嬉しくなりました。
東西交流という謎の人事のお陰で?先輩がこれを作ってくれたのでした。
このテープは誰が作ったのか?は先輩たちも知らないと言っていました。
僕の営業ですか?
成績はそんなに良くなかったですが、あのバイヤーには嫌われつつも何とか
少しですが、話ができるようになっていきました。
今でも誰も、あのカセットテープを誰が作ったのかわかりません。
でも、誰が作ったのかは、もうどうでもいいです
あのテープのおかげで、僕は少しですが大阪が好きになり、関西弁にも前向きになっていきました



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