清風寮物語⑨ 「人生、最悪の日」

昭和物語

今回は、営業マンとして少しずつ一本立ちしていく僕の姿を描く物語です。

強く逞しく成長していく姿をお見せしたいところなのですが、この時僕の人生で経験したことのない、とんでもない事件が起きました。

これまで誰にもほとんど話したことのない話です。

22、23歳だった僕にとって、

人生で最悪の一日でした。

僕が入社して半年を経った頃に、それまでの人生で経験したこともないような、大事件が起きました。

僕が担当している4店舗のうちに、二番目に売上の大きな店舗でベテランのスタッフが店の事情で辞めることになってしまいました。

そのスタッフはベテランの方で顧客も、たくさん持っていました。

そこで代わりのスタッフを探さなければなりませんでした。販売スタッフの販売スタッフ手配は当時、営業の仕事でもありました。

スタッフの力量で売上は天と地ほど変わるので、営業マンにとって最重要課題でした。

先輩たちにも相談をし、色々手を尽くしますが、中々人が見つかりません。

そんな時、百貨店側のバイヤーから人を紹介してもらいました。

まだ20代前半の女性でした。

僕の扱う商品はミセス対象の商品だったので正直不安でしたが、売場に穴を空けていけないと思い、採用しました。

もちろん上司にも相談し、了承を得ました。

そして、その女性を採用して1ヶ月が経ちました。

売上は前年の半分でした。

新人の営業と慣れないもの同士なので、改善策がまったくわかりませんでした。

僕もなるべく売場に通い、販売したり励ましたりしましたが、20歳そこそこの女の子では関西のミセスの気持ちをつかまえることはできず、バイヤーからもお叱りを受けますが、その子はバイヤーからの紹介なので、状況は複雑でした。

しかし3ヶ月経っても結果が出ないので、僕はその子は向いていないと判断し、バイヤーにも上司にも相談し、了承を得ました。

そしてそれを彼女に話すので、仕事終わりに喫茶店に行ってそこで伝えました。彼女も自分の実力不足がわかっていたのか?了承してくれました。

一生懸命頑張っていた子だったので、残念でしたが仕方ありません。

僕と彼女は帰る方向は反対でしたが、ホームは一緒でした。

そして、最後の挨拶をしました。

すると、するとですよ!!!

その子がホームで泣き崩れて、横になってワンワン泣き出したのです。

僕は何が起こったのか?まったくわかりませんでした。

それまでの彼女は「残念ですが、私の実力不足ですみません」とも言っていました。

すると、野次馬達が集まってきました。

気がつけば、あっという間に大勢に囲まれてしまいました。

誰かが、「どないしたんや?」と言うと、

別の野次馬が「若い兄ちゃんが殴ったんや!」と言ったんですよ!!!。

僕はとっさに「適当な事を言うな!」と言い、その子を抱き起こして駅から出ました。

ホームで横たわってしまったので、服が汚れてしまいました。

このままでは電車に乗れないと思って会社に電話すると、まだ上司が会社残っていて、事情を説明すると、“タクシーで送ってやれ”と言われました。

最初はタクシー代を渡して終わろうと思っていたのですが、何かあってはいけないと思い送ることにしました。

タクシー乗り場に行き、乗ろうとすると運転手に嫌な顔をされました。

女性の服が汚れている上に、泣いているからです。

運転手から「面倒は嫌やで?」と言われ、やんわりと乗車と拒否されましたが、こちらは何も悪いことをしていないので、「大丈夫です」と言って半ば強引で乗り込みました。

彼女の履歴書を持っていたので、住所を運転手に告げました。

奈良の郊外で、かなり遠いことだけはわかりましたが、土地勘がまったくない僕には、どのくらい遠いのか?まったくわかりませんでした。

タクシーは走り出し、すぐ高速道路に乗りました。

タクシーの中でも彼女はずっと泣いていました。そして時々“うっ”と吐きそうな声を出すので、運転手さんが、「吐くなら降りてくれ」と言うのです。

高速道路なのに、ですよ!!!!

運転手を何とかなだめ、高速道路を降り家の近くまで来ました。

彼女はフラフラになっているので、支えながら家まで届けました。

僕はそこで別れようと思ったのですが、家の人に一言挨拶をして帰ろうと思い、チャイムを鳴らすと、中から男の人が出てきました。

たぶんお父さんだと思いますが、かなり酔っ払っていました。

そして娘の服が汚れており、そして泣いているのを見て、

「お前、何したんや!!!」怒り出しました。

説明しようにも、お父さんは酔って話を聞こうともしません。

そして他に人はいませんでした。

そして僕に家に入るように言いました。

僕は一生懸命説明しようと何度も試みましたが、怒っているばかりでした。

そして、あげくには――

ちゃぶ台をひっくり返しました。

机の上にあったお酒などが、全部吹っ飛びました。

そして僕を“訴えてやる”と言いました。

僕はもう頭にきて、名刺を床にたたきつけて「訴えたいなら、そうしろ!」

と言って、家を飛び出しました。

そこがどこか?まったくわかりませんでしたが、何とか最寄り駅に着きました。時刻表を見ると大阪方面の便がまだありました。

その時間の大阪方面はほとんど人が乗っておらず、僕はそこで何とも言えない気持ちになって、泣いてしまいました。

そこからどうやって寮に帰ってきたのか?まったく覚えていません。

ほとんど寝られませんでした・・・

翌朝会社に行って、昨日の顛末を直属の上司に報告しました。

上司は驚き、課長も交えて対策を考えてくれました。

そして仕事をしていると、内線の電話がなりました。

受付からでした。

なんと昨日の子が会社に来たのです。

僕は“えっ”と思いましたが、会いにいきました。

会社の近くの喫茶店の連れていくと、昨日のことを詫びてくれました。

お父さんも昨日は娘の汚れた服を見て、思わずかっとなってしまったと言って、事情を聞いて反省していたと言ってくれました。

タクシー代金とお詫びの菓子をもらって、そこで一件落着となりました。

僕が22、23歳の頃の人生の中で、これが一番大きな事件でした。

「訴えてやる」と言われた時は、さすがに冷静ではいられませんでした。

そして不思議なことに、この出来事も、このブログを書くまではすっかり忘れていたのです。

こうして文章にしていくうちに、当時のことが蘇ってきました。

今でも思い出すと、胸が苦しくなる出来事です。

でも、あの時の僕はまだ22、23歳。

営業マンとしても、社会人としても、まだ何もわかっていませんでした。

もしかすると、こういう経験を一つひとつ乗り越えながら、僕も少しずつ社会人になっていったのかもしれません。

それにしても――

あの日は、本当に人生最悪の日でした。

今、60代になって振り返ると、時々こんなことを考えます。

もし、僕がRENOWNに入社して、大阪ではなく東京の自宅から通っていたら、

僕の人生はどうなっていたのだろう?と。

きっと、それなりに楽しい人生だったと思います。

でも、MDにはなれていなかったかもしれません。

そして、今の僕のような行動的な人間になっていなかったと思います。

大阪という、まったく知らない土地に行き、慣れない環境の中で、ひとつひとつの出来事に向き合いました。

楽しいこともありました。

苦しいこともありました。

そして、今回のように「人生最悪の日」と思うような出来事もありました。

今振り返れば、そんな出来事も含めて、全部が僕の人生だったんです。

あの日は、本当に苦しかった。

でも、あの日があったことも含めて、今の僕があります。

だから、この事件も僕の人生の大切な一部なんですよね。

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