60代になって、人生を振り返ることが増えました。
そこで不思議なことに気づきました。
それは楽しかった思い出よりも、つらかったこと、大変だったことの方が、今でも鮮明に残っていることです。
そして、その大変だった時間を一緒に過ごした仲間との絆は、あれから何十年経っても残っています。
今でも清風寮の仲間と会えば、まるで昨日のことのように当時の話ができます。あの頃は大変だったのに、今振り返ると、それが人生の大切な財産になっています。
思えば僕の本当の人生はこの清風寮から始まったと思います。それまではなんだかんだ言っても、両親に守られていました。初めての街、初めての社会人、初めての文化、初めて親元を離れての生活が、始まりました。
「では、はたして清風寮がどんな場所だったのか?――」
現代ではとても考えられない寮の物語をぜひお聞き下さい。
※そこはタイパ、コスパなど全く無縁の世界でした。僕は今が少し羨ましくも思いますが、昭和の時代では、これが当たり前の時代だったのです。
「60代になって、僕はこう感じています。皆さんはどう思いますか?」
というスタンスですので、そのつもりで聞いてくれれば嬉しいです。
清風寮物語の第一弾は、
「新人研修前夜」をお届けします。
時は昭和56年(1981年)の3月下旬です。
場所は大阪の香里園という駅に、RENOWNの独身寮はありました。香里園という駅は京阪電車という線で、大阪と京都を結ぶ沿線です。

大阪は淀屋橋という駅から約20分のところに香里園はあります。そこから徒歩で約5、6分のところに寮はありました。その名は「清風寮」でした。
寮は3階建てで、トイレと風呂は共同でした。
寮生は約50名、部屋数は30部屋でした。ですから歳の上から約15名が一人部屋で、残りは二人部屋でした。部屋は約6畳で、ベッドと机、あとクローゼットが各人についておりました。テレビ、エアコンはありません。暖房器具だけ付いていました。
そこに二人で住むのですから、物は最低限しか持ち込めません。二人のベッドの距離は約80cmですので、プライベートはゼロでした。
僕は翌週の月曜日から始まる新人研修の為、金曜日に赴任しました。布団などの大物は東京から送っていましたが、あと生活に必要なものを週末に現地調達しました。(布団は先輩に取られて、代わりに先輩のお古をもらいましたが・・)
そこで初めて同期の10人に会いました。早稲田、慶応、立教、成蹊などの東京組もいましたが、地方出身で関西の大学に通っている奴もいました。
その3日間は、みんなで食事に行ったりして親交を深め、翌週から始まる研修を頑張ろうと誓いました。日曜日の夜も早めに食事に行って、翌日の研修に備えて部屋で休んでいると――
突然夜の21時に、”ピンポンパ-ン”と館内放送が流れます。
「ただ今から新人歓迎会を始めますので、中2階の客間に全員集合して下さい」というアナウンスが流れます。
そんな部屋があったのも知りませんでした。たまに来る来客用の部屋があったのです。
もう寝るつもりでしたから、急いでパジャマを服に着替えて集合部屋に向かいます。
すると先輩達はもう座っていました。そして良く見ると安そうなウイスキーのボトルが目に入ります。ビールなどはありませんでした。つまみのような物は一切なかったです。
そこで寮長が挨拶をして、先輩達が自己紹介してくれました。そして僕たちの自己紹介の番なのですが、その前に清風寮の儀式があるとのことでした。それはパンツ一丁になって、それからランニングして香里園の駅まで行って、手にはんこを押してもらって帰ってくると言う儀式でした。
寮長曰く、これから毎日お世話になる香里園の駅員さんへのご挨拶だそうです。
全員その場で裸になって、二年目の先輩の後をついて全員後ろを走ります。3月下旬ですので、まだ外は肌寒かったです。外に出ると日曜日の夜とはいえ、人がまったくいない訳ではありませんでしたが、もうそんな事は言っていられません。
ところが駅に着くと駅員さんが落ち着いて対応してくれました。これは毎年の行事だから駅員さんも慣れているのです。「よろしくお願いします」と言うと、やさしく「頑張って下さい」と言われました。
そして僕たちは往復10分もかからずに寮に戻ってきました。
いよいよ新人歓迎会のスタートです。
寮長から言われたのは、まずはウイスキーをビールの中ジョッキに並々つがれて、それを駆けつけ三杯飲め!と。
それから芸を披露してもらう。
その芸が面白ければOK!
しかし面白くなければ、”もう一杯!”と言うルールでした。
10人並んで、僕は五番目でした。
その前に寮長が二年目の先輩を指名し、「お手本を見せろ」と言いました。
その先輩は「えっ」と驚きながらも芸を披露しましたが、誰も笑わず、罰としてウイスキーを一杯一気飲みしました。
それを見ていた僕は、もう心臓が止まりそうでした。
先輩たちは誰も笑わず、何とも言えないつまらなそうな顔をしています。
「この人たちの前で、いったい何をやればいいんだ……」
自分の番が近づいてくるにつれて、どんどん緊張していきました。
そしていよいよ一人目が三杯を一気に飲んで、芸を披露しました。僕は面白いと思ったのですが、先輩たちはニコリともしません。それでもう一杯一気しました。
続けて二番手が続きますが、これも全然受けませんでした。
三番手はウイスキーを一杯飲んで、そのまま芸を披露する前にトイレに駆け込んでしまいました。
四番手も終わり、いよいよ僕の番です。
もう心臓が止まりそうでしたが、何とか三杯飲みきりました。
そして、僕の芸を披露しました。
ところが――
まったく受けません。
罰の追加の一杯を飲み干しました。
そこから僕は、まったく記憶がありませんでした。
今になって振り返ってみると、先輩たちが笑わなかった理由も、少しわかるような気がします。
時間は日曜日の夜、もう22時近くです。翌日は月曜日。当然、先輩たちも仕事があります。
特に営業の人たちは、当時は日曜日も出勤していました。だから、もしかしたら先輩たちも「早く終わって、早く寝たい」と思っていたのかもしれません。ただ当時の僕には、そんなことを考える余裕はありませんでした。
「なんで笑ってくれないんだ……」と必死だっただけです。
60代になった今、あの時の先輩たちの気持ちは、少しわかるようになりました。
そこからの僕は、まったく記憶がありませんでした。
その後も宴会は続いたみたいですが、気がつけば僕はトイレで倒れており、そこで目を覚ましました。
フラフラになって部屋に戻ろうとすると、トイレにもう一人、廊下に二人くらい倒れていました。
時間はもう8時近くになってました。
研修は9時スタートです。
初日から遅れるわけにはいきません。
必死でした。
とにかくスーツを着るだけで精一杯です。
頭はボサボサ、髭を剃る余裕もありません。
何とか身支度をして、倒れている仲間もたたき起こし、みんなで電車に滑り込みました。
途中で気持ち悪くなって、「トイレに降りたい」と言う奴もいましたが、そんな時間はありません。
「もう少しだから我慢しろ!」
そんなことを言いながら、何とか全員会社にたどり着きました。
そして、そこからが社会人としての初日です。
会社に着くと、そこには同期の女子社員たちもいました。研修は男女別なのですが、入社式は一緒でした。
そして僕たちは、女子社員たちの視線を一斉に浴びることになります。
頭はボサボサ。
髭は剃っていない。
ネクタイはよれている。
スーツもきちんと着られていない。
女子社員たちの目が痛いんです。
「何あれ?」
「社会人なのに、ありえない……」
「まだ学生気分なの?」
「同期として恥ずかしい……」
そんな目をしているように感じました。
僕は心の中で、
「違うんだ! 僕たちは昨日の夜、あんな大変なことがあったんだ!」
と言いたかったですよ!
でも、もちろんそんなことを説明するわけにもいきません。
ただ黙って、その痛い視線を受けるしかありませんでした。
今思えば、女子社員から見れば、僕たちは完全に「不潔な人たち」だったと思います。

入社式は、支店長、各部長の挨拶が終わり、お昼になりました。当時RENOWNはイタリアンレストランも経営していたので、料理とお酒が提供されました。
支店長が乾杯の挨拶をします。
「それでは、乾杯!」
ところが――
寮生は、ほぼ全員が酒の匂いを嗅いだだけで、またトイレに駆け込みました。
昨夜、あれだけ飲まされたのですから、当然です。
自宅から通っている同期たちは、女子社員たちと楽しそうに談笑しています。
その横で僕たちは、料理もお酒もまったく受け付けません。
「僕は何をやっているのだろう・・・」
そんな気持ちになりました。
そして午後からは、また研修が始まります。
しかし――
寮生は、みんな寝ていました。
初日から完全に絶望しました・・・
もう「出遅れた」というレベルではありません。
社会人として、これからちゃんとやっていけるのか?
僕にはまったく先が見えませんでした。
こうして僕の社会人生活は、まさかのスタートを切ったのです……。

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